どうも、医学生シン(@BodymakeShin)です!
今回の記事では、『自信がつく』『自信がない』ということについての私の考えを書いていきます。
この記事の概要
- 漠然とした不安の正体は『主体性の欠如』と『暇』
- 自分の人格形成を振り返り
- 気になることは色々試してみるのが大切
私はだいたい小学校4年生から高校卒業くらいまで、なぜか自分に自信が持てませんでした。
別に、なにか特別な出来事があったわけではありません。ただ、なんとなく自分には価値がないと感じていました。
強いて理由を挙げるとするのなら、友達が少ないことや、特筆すべき特技を持たないことはありました。
しかし、自分の欠点を個別に見ていくと、そこまで深刻にも思えませんでした。
たしかに友達は少なかったですが、いつも数人はいました。トップ層ではないにしても、勉強はそれなりにできる方です。
ところが、なぜか未来のことを考えても希望が湧かず、なんとなく気が滅入ってしまいました。死にたくなったり、誰かに助けを求めたくなるということはありませんでしたが、真絹で首を絞められるような閉塞感をずっと感じていました。

その頃は単に思春期だっただけかもしれませんが、思春期がすべて私のような症状を呈するとも思えません
しかし、大学に入って2年くらい経つ頃には、この閉塞感をあまり感じなくなりました。
単に年齢を重ねて精神が成熟しただけかもしれませんが、私には不安が消えた理由に心当たりがあります。
この記事では、少年時代に感じていた不安の正体と、大学生に入ってから不安を克服するのに貢献した習慣を解説します!
少年時代の不安の正体
結論から言えば、私が少年時代に不安・閉塞感を感じていた原因は、主体性の欠如と暇です。
私は都内の中高一貫男子校に通っていましたが、通いたくて通っていたわけではありません。
その中学を受験したのは、ひとえに母親の勧めです。

その学校に入ってからは楽しかったですが、受験するという決断に自分の意思はありませんでした
大学受験で受ける大学も、半分親が決めたようなものでした。
学費を出してくれるので当たり前ではありますが、私は成人するまでの重要なライフイベントの主導権を他人に握らせていたのです。
主体性の欠如
では、なぜ主体性の欠如が不安につながるのでしょうか。
それは、自分の人生をコントロールしているという自負がないため、自分がどうなってしまうのか確信できないからです。

人生には、コントロールできる変数と、コントロールできない定数があります
変数とは、自分に関することです。自分がどの大学や企業を目指すのか、何をするのかというのは自分で決まられます。
しかし、他人は定数です。他人がどう振舞うかは自分でコントロールできません。
主体性がない、自分で決断しないということは、変数が定数に変わってしまうということです。自分がコントロールでできる範囲が狭まってしまいます。
敗北寸前のテトリスのように選択肢が少ない状況だと、ヒトは不安を覚えます。
暇
自分で選ばないことの弊害は、もう一つあります。

それは、目の前のことに没頭できないことです
やらされているという意識では、どんなことでも受け身の姿勢につながってしまいます。
例えば、サッカー選手になるという夢のために邁進する少年を想像してみましょう。きっと彼はサッカーの練習に没頭するでしょうし、時間はあっという間に経ってしまいます。
しかし、親に言われてサッカーを習っているだけの少年は、練習の残り時間があとどのくらいなのかばかり気にして、練習がさっぱり身にならないでしょう。
これは、スポーツでも勉強でも同じです。
私はこの、目の前のことに没頭できていない時間を『暇』と呼んでいます。
暇は、とりとめのない思考の温床です。たいてい、もうどうしようもないことや今は関係ないことを考えてしまいます。
私は中高時代のほとんどを『暇』にしてしまいました。
だから、いつもどこか不安を抱えていたんだと思います。
不安の消し方
漠然とした不安の根源は、主体性の欠如と暇です。
では、不安を消したいのなら、主体性をもって決断し、目の前のことに没頭すればよいでしょう。

しかし、これは簡単なことではありませんよね
自分で考えて決断するということは、責任が伴います。誰だって、裁量は欲しいけど責任は負いたくないですよね。
目の前のことに没頭するのも、このインターネット社会では難しいです。手のひらに収まる薄い板は、日々様々な娯楽と誘惑を届けてきます。
しかし、私は大学に入ってから、筋トレやブログ執筆、武道など、様々なことに没頭できています。
これには、2つのことが関係していると考えています。
親や学校を客観視する努力
まず、自分で責任を負いたくないという心理は何から生まれたのかを考えてみましょう。
ヒトの人格形成に大きく関わるのは、親と学校です。
自分の親や通っていた学校は、どういう考え方をしていたでしょうか。
何を称え、何を軽視していましたか?

これを考える上で大切なのは、善悪ではなく、属性を考えるということです
多くの親や学校は、自分で考えて行動した末の失敗を大いに叩いてきたのではないでしょうか。言わんこっちゃない、だからやめておけと言ったのに、と。
こういった教育が、自分で決めることへの抵抗感へ繋がっていると自覚する。そして、その呪いを解くにはどうしたらよいか考える。これが大切です。
あとは、小さなことから自分でやってみれば、段々と『指示待ち』をやめていけます。
間違っても、親や学校を恨むことに時間を使ってはいけません。
それは非建設であり、暇です。
色々なことをやってみる
自分が没頭できるものを見つけるには、『好きなものガチャ』を引きまくるのが手っ取り早いです。
目についた面白そうなものを、少しだけやってみましょう。やってみなければわからないこともあります。

没頭できるかは、やってみなければわかりません
多くのサービスは、無料期間や体験を設けています。
例えばトレーニングジムなら、トレーニング体験や見学を受け付けている施設は多いです。
あるいは、スノーボードをやってみる際に、道具をレンタルすれば始める敷居を下げることができます。
YouTubeやTikTokのような優れたクリエイターの作り上げた娯楽に負けない没頭は、色々な『自分が好きそうなもの』を試していく過程でしか見つかりません。
なるべく出費や拘束時間を減らす努力をしつつ、色々なものに手を出してみましょう。
私もそうやって筋トレやブログに出会いました。
まとめ
漠然とした不安を感じる。別に困窮しているわけでも、差し迫った危機があるわけでもないのに、心がもやもやする。
そんな時は、自分で決断することから逃げて、暇を持て余しているからかもしれません。
そこで大切なのは、自分の人格形成の過程を振り返って、なぜ自分で決断できないのか客観視しようとすることです。そして、色々な体験を通じて、自分が没頭できるものを探すことです。

受け身の人生をやめれると、日々を楽しく過ごせます
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