どうも、医学生シン(@BodymakeShin)です!
今回は、少し前に見た映画をご紹介します!
今回ご紹介するのは、映画『オッペンハイマー』です!
この作品は、楽しい作品ではありませんが、一度は見ておくべき作品だと思いました。
戦争から時間がたち、戦争の記憶が薄れつつある今こそ見るべき作品だと感じます。
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*この記事は、映画についてのネタバレを含みます。映画を見てない人は、映画を見てから読むことをおススメします。
映画の概要
この映画は、原爆を完成させた科学者・オッペンハイマーの半生を綴った映画です。
映画は2部構成になっており、老いたオッペンハイマーが尋問を受けているシーンと、若いオッペンハイマーが理論物理学者として栄達を掴んでいくシーンが交互に織り交ぜられています。
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時間軸や視点がとびとびになるので、集中して見なくてはいけません
天才科学者・オッペンハイマーと叩き上げ・ストローズがそれぞれ追求される場面から始まり、その経緯を回想するという形式で物語が進んでいきます。
カラーとモノクロで映像が分けられていますが、これは過去と現在ではなく、視点の違いです。
オッペンハイマー視点がカラーで、ストローズ視点がモノクロです。
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ここを勘違いしてしまうと、映画を見るときに混乱してしまいます
オッペンハイマー視点では、若き日のオッペンハイマーがアメリカで理論物理学をはじめ、次第に名声を博し、ロス・アラモスを設立して原子爆弾を実用化する過程が描かれています。
ストローズ視点では、ストローズがオッペンハイマーと出会ってから、次第に対立し、最後には決定的に関係が決裂してしまう過程が描かれています。
日本人として見ておくべき作品
私がこの映画を見てまず感じたのは、『大量破壊兵器を落として終わりではない』ということです。核兵器を作り使った側も核をどう扱うのか選択を迫られます。
私たち日本人は、唯一の核兵器被害国として、『核が開発され使用されるまで』に着目しがちです。
広島と長崎に落とされた原子爆弾がどれだけの被害を生んだのか、というのは戦争教育で念入りに習います。
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私も広島で原爆被害者の方のお話を聞きました。戦争の悲惨さが、どんな文章や映像よりも心に響いてきました
戦争被害者の声は、日本人として傾聴すべきものです。後世に語り継いでいくべきものです。
しかし、それ以外の部分にも目を向けるべきではないでしょうか。
つまり、これまでの核規制の歴史です。
義務教育で習う戦争の歴史は、『負けるまで』に着目しすぎているように思えます。核抑止についての現代の国際情勢に、歴史の授業時間はほとんど割かれません。
映画『オッペンハイマー』は、原子爆弾が実用化され、広島に投下された時点で上映時間全体の約2/3が過ぎています。逆に言えば、約1/3がその後の核開発推進派と核抑止派の闘争に注がれています。
原子爆弾を開発した科学者・オッペンハイマーが戦後は核抑止を訴え、しかし権力闘争に負けて失脚してしまう過程は、戦後の核抑止の流れを端的に表しています。
核抑止の先頭に立つ日本人こそ、核が落とされたことによる被害だけではなく、その後の核抑止の歴史にも目を向けるべきではないでしょうか。
核の悲惨さを訴えることに加えて、なぜ核抑止はなかなか進まないのかを知ることも大切です。
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そのために、核兵器を作り使った側の物語を見るのは重要です
映画『オッペンハイマー』を見て、私はそんなことに気付かされました。この映画は、日本人こそ見るべき作品です。
映画の3つの切り口
さて、この映画は『核開発と核抑止の歴史』以外にも3つの見方ができます。
この奥深さもまた、この作品の魅力です。
天才と叩き上げの対立
この映画は様々な見方ができますが、そのうちの一つに『天才と叩き上げの対立』があります。
この作品は、理論物理学者・オッペンハイマーと、叩き上げの政治屋・ストローズの視点が織り交ぜられています。
オッペンハイマーは苦労しつつもアカデミアで栄光を掴んだ天才です。
一方のストローズは、大学に行っておらず、アカデミアにコンプレックスを抱えています。
出会った当初2人は協力関係にありましたが、些細な行き違いから次第に対立していきます。特に、冷戦時代の核開発競争についての考え方は真逆でした。
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ストローズがオッペンハイマーに見当違いな憎しみを向けていく過程は、見ていて寒気がします
女性の社会進出
この作品は、戦争が女性の社会進出を促したという側面も描いています。
世界大戦が労働市場から男性を奪い、足りなくなった労働力を女性に担ってもらうことで、女性の社会進出が進んだことは割と有名な話です。
これが良いことなのか悪いことなのかは分かりませんが、映画の中でも大戦によって女性が活躍する場が生まれています。
オッペンハイマーが設立したロス・アラモス(核兵器開発研究所)は、当時最先端の軍事技術が集結した場所です。突然ながら情報統制は厳しく、安易に増員できない状況でした。
そこでオッペンハイマーは研究員の家族(妻)も事務員や助手に登用し、大学で科学を専攻していた女性を研究チームに加えることまでしました。
杓子定規な軍部はいい顔をしませんが、オッペンハイマーは研究が前進することを優先して推し進めます。
映画の中盤では女性が音頭をとって集会を開き、核開発研究の意義について問題提起する場面もあります。
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この映画は、『戦争がフェミニズムを台頭させた』という側面も描いています
天才の生涯
*ここからはさらに重要なネタバレがあります。映画を見てない人は、映画を見てから読むことをおススメします
この映画の3つ目の見方は、天才の典型的な生涯・ロールモデルです。
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『狡兎死して走狗烹らる』という言葉がありますが、この映画で示されている天才の生涯もそんなものです
『狡兎死して走狗烹らる』とは、ざっくり言えば『英雄といえども、邪魔になれば捨てられる』という意味です。
作中でオッペンハイマーの友人として、アルベルト・アインシュタインが登場します。
オッペンハイマーは、相対性理論を完成させたアインシュタインに敬意を払ってはいたものの、内心では彼を老いぼれ扱いしています。
そしてアインシュタインもそれを分かっていて、その上でオッペンハイマーに人生の知恵を授けます。
曰く、天才もいつか排除される、そして周囲から形式的な名誉をお仕着せられて納得させられる、と。
作中では、アインシュタインに砂をかけたオッペンハイマーがアインシュタインのための式典を執り行い、オッペンハイマーを追い詰めたテラー(水爆の父)がその後のオッペンハイマーのための式典で握手を求めています。
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天才が天才を排斥し、その天才も次の天才に排斥されています
『握手はあくまで保身のため』というのは、凡人の人間関係でも言えることだと思いました。
この映画では、『天才の生涯はこんなものだよね』という1つの形が示されています。
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