どうも、医学生シン(@BodymakeShin)です!
この記事では、最近読んだ小説『正体』がすごく面白かったのでご紹介します!
こんな人におススメ!
小説『正体』は、日本犯罪史上でもまれにみる未成年の死刑囚が脱獄し、日本中を転々としながら逃亡する物語です。
脱獄から1日、33日、117日、283日、365日、455日、488日と区切られて章が分けられており、455日目が1日の次に来ることを除けば、時系列に沿って物語が進行します。
概ね時系列通りに物語が進むので、読み返さなくても物語が理解できます
少年脱獄犯が潜伏先で各章の語り手と心を通わせる過程がこの本のメインテーマであり、物語の軸になっています。
この本は、登場人物の繊細な心の機微を楽しみたい方やウィットに富んだ言い回しを味わいたい方におススメです。
作中では様々な表現がちりばめられており、どれも素晴らしいものですが、あえて好きな1節を1つ選んでご紹介します。
見渡せる黒山が波のように動いている。みな頷いているのだ
正体 染井為人 光文社 2022/1/12 370ページ
このシーンは、新興宗教の説教会で信者が説法に首肯する場面です。
この新興宗教のメインターゲットは貧困層なので、髪を染めたり派手な格好をする余裕はありません。
この表現は、群衆の後ろにいる語り手から見える、貧困層の主婦やシングルマザーが説法に聞き入っている様子を必要最低限の言葉で的確に表しています。
私が小説を読む理由の一つに、素敵な表現のストックを頭の中に蓄えたいというのがあります。その意味で、この小説を読んで本当に良かったです。
嘘をつく≠騙す
私は物語を楽しむ際、主人公のキャラクター性は重要な要素だと考えています。
小説『正体』を語るうえで、主人公の人間性について触れないわけにはいきません。
この本の主人公、少年脱獄犯・鏑木慶一は、物腰柔らかで賢く、落ち着きのある好青年として描かれています。しかし一方で、胸の内に激しさも持ち合わせています。
そしてなにより、彼の長所は情に厚いところです。
例えば、警察の手が及びそうになったため止む無く去った『日雇い建設現場』では、赤の他人の老人のために現場監督に直談判しています。
その現場は法律など糞喰らえな劣悪な現場で、労働者側の立場が非常に弱いです。管理者に歯向かえば、職を失う危険もありました。
しかし、鏑木慶一はそんな事構いもせず、老人を助けるために尽力しています。
他にも、彼はリスクを冒してでも誰かのために行動している場面が多く描かれています。
さて、そんな情に厚い鏑木慶一ですが、彼は逃亡犯ですので、潜伏先では当然多くの嘘をついています。
しかし、彼に積極的に騙そうという気はありません。
嘘つきには、最初から最後まで嘘を作り上げてそれを貫徹するタイプがいますが、鏑木慶一はそういうタイプではありません
あくまで彼は自分のままで潜伏し、どうしても言えないことだけ隠しています。
本心では嘘をつきたくなんてなく、しかし『逃亡の目的』のためには仕方なく嘘をつく場面もあるという具合です。
彼の会う人になるべく誠実でいようという心持ちは、相手にも伝わります。だからこそ、物語を通して、味方が増えていきます。
(ネタバレあり)自分の人生を生きる
ここからは物語のネタバレ・考察を含みますので、余計な情報を抜きにして物語を楽しみたい方は、小説を読んでから戻ってきてください。
小説『正体』を捻くれた見方をすると、鏑木慶一が少しの間だけ自分の人生を生きる物語とも読めます。
逃亡犯・鏑木慶一は、施設育ちです。物語開始時点で彼は施設の中で年長者なので、子供たちを世話する立場だったでしょう。
彼には自分の時間というものがあまりなかった、普通の少年時代を過ごせなかったのではないでしょうか。
こう考える根拠は、脱獄から33日で少し酒を酌み交わしただけの青年を友達と呼んだり、脱獄から117日で同棲した女性を好きな人と呼んだことです。
青年に関しては、鏑木慶一から見ればチンピラと変わらないはずです。青年から鏑木慶一へ尊敬や友情を抱くのは、一連の流れを考えると無理からぬことですが、逆が起きる理由は見当たりません。
この点については、鏑木慶一は対等な交友関係に飢えていたのではないかと考えます。逃亡生活に入る前は、彼は兄弟同然に育った子供たちを世話するのに忙しく、部活や習い事に熱中することは難しかったのではないでしょうか。
簡単に言えば、彼の人間関係は保護対象の子供と目上の大人でほとんど完結していたので、逃亡生活で関わった人を簡単に友達認定するのだと思います。
一時期同棲していた女性についても、同じことが言えます。
おそろく鏑木慶一には女性経験がありません。色々な意味でいっぱいいっぱいだった彼は、恋愛を楽しむ余裕などなかったでしょう。
だから、社会人になりたての男性を家に上げて棲ませる女性のやばさに気付かずに、恋愛感情を抱いてしまいます。
男女を逆にして考えたら、道義的に問題になるでしょう
逃亡から117日の語り手はそれなりに恋愛経験があるので、年の差を考えて、彼が自分を好きになることはないだろうと現実的な考えを持っています。
しかし、鏑木慶一は恋愛経験が乏しいので、人生で初めて親密になった女性を美化してしまっているのでしょう。
私は非モテなので、鏑木慶一のこういった心理には共感してしまいます。
このように見ていくと、小説『正体』は、人生経験の偏った少年が逃亡生活を経て様々な経験を積んでいく物語とも読めます。
最後は悲劇的な最期でしたが、逃亡生活は辛いだけのものではなかっただろうと想像できます。
コメント